2013年12月10日火曜日

映画 | 『かぐや姫の物語』

随分と淡白な現代っ子、なよ竹の君

(C)2013 畑事務所・GNDHDDTK

『かぐや姫の物語』。
宮崎駿監督の『風立ちぬ』と同日公開予定でしたが、
延期になっていた本作がやっと公開されました。
宮崎監督の引退宣言後、第一作目のジブリ新作です。

予告編の素晴らしさに期待は膨らむばかりで、試写会場へ。
会場は『風立ちぬ』の時と同じく長蛇の列でした。
試写終了時に拍手が起こりました。
で、ネットでは試写終了後、評論家の方々から早くも大絶賛の嵐、不思議になほど全く不評を見かけませんでした。

高畑勲監督は『ホーホケキョ となりの山田君』と『平成狸合戦ぽんぽこ』が好きなのですが、
今回は『かぐや姫』。日本国民の大半が知る題材です。

公開後、世間のかぐや姫フィーバーも落ち着いたので、やっとレビューを載せようかと思います。


「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。
野山に混じりて竹を取りつつ よろづのことに使いけり。
名をば、さぬきのみやつことなむいひける。
その竹の中に元光るたけなむ一筋ありける。」
竹取物語の原文が、本編の冒頭でも語られます。

「…怪しがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば三寸ばかりなる人、いとうつくしうて居たり。…」
と続き、かぐや姫との出逢いに続きます。

…しかし!『竹取物語』のこの冒頭をそらで言える程度の思い入れがある私にとっては、
巷の有名評論家の方たちの大絶賛!には共感できませんでした。…すみません。

私には本作の「かぐや」は、
絶世の美女とも思えないし、キャラクターとしての魅力も感じませんでした。

まあ、もともとかぐや姫というのは、「いけすかない女」なわけですよ。
小さいころから蝶よ花よと育てられ、多くの3高男子(死語)に告られ、
結婚する気もないのに「××をくれたらあなたのものになってもいいわよ~」とかなんとか、
無理難題を出しつつ、気を持たせるようなセリフを吐く女なわけです。
しかも、20年も育ててくれたおじいさんおばあさんの老後も考えず、
月に帰っちゃうという。

おじいちゃんおばあちゃん子の私にとっては「とんでもねー女」だったのです。

しかし、それでもこの物語の魅力はなんだろうと考えたときに、
やはり真っ先に思い浮かぶのは「おとぎ話のお姫様」ってこと。
その肩書きがあればどんな女であろうとまあ許される、子供たちにとっての究極の免罪符「お姫様」。
「お姫様」の象徴、美しい容姿ときらびやかな衣装は、女児たちを寛容にするマストアイテムです。

日本のお姫様の醍醐味は、なんといっても長い黒髪と華やかな衣装です。
古くから原作に添えられてきた挿絵などにある床にまで流れる黒髪は画面的にも美しいし、
十二単の折り重なるさまや衣擦れの音は、想像しただけで心地よい。

しかし本作の「かぐや」は、贔屓目に見ても「美しい」黒髪には見えないし、
十二単もろくに着やしない。バッサバッサはだけるシーンはあるのに。

黒髪の流れひとつで悲哀も情緒も儚さも表せるのに、それをほぼ使わなかったのはすごく勿体なく感じました。


キャラクターについてですが、
原作のかぐや姫の方がもう少し、翁と媼に愛情を感じますし、
原作での帝の「不老不死の薬」のくだりなんかは、辻褄があっているのに、
映画では原作の人間関係をアレンジしてしまったばかりに、物語の細部は破綻しています。

本作では、かぐやをとても人間臭くしてしまったために、
かぐやのいけ好かない点ばかりが目につき、
物語を通して、かぐやの「我」ばかりは見えても、
育ての親への愛情や、かぐやの心の美しさや外見の美しさへの表現が希薄に感じました。
自分の事だけしか考えない、育ての親との別れも割とあっさり目。
随分と淡白な現代っ子だよね、なよ竹さんちのかぐやさん。


そもそも「美」の基準をどこにするか、という点で話は違ってきます。

原作のかぐやは人としての愛や情を持ち合わせていますが、
・「我」の描写は少ないこと、
・容姿などの表面的な美しさ
など人間的でない描写を駆使して「天上人」としての、「美」として描いています。

しかし、映画では
・「自分の思うように(人間らしく)生きたい(=我)」、
・動物や草木のような自然と共に生きること
を「美」として置いているのでしょう、

「想いのまま」に生きる姿は、人間としての「美」であり、「天上人」としての「美」は感じません。

唯一地球人ではないからなのかな、と思ったのが、この愛や思いやりが希薄なこと、くらいです。

ジブリの「自然讃歌」は嫌いではありませんが、
「かぐや姫」にまで「自然讃歌」を持ち込むのはいささか説教臭く、
「健全な美」というのもこの物語とはそぐいません。

近所のおじいさんが
「化粧した顔よりも素顔が一番じゃ」とか
「ちょっと太ってるくらいが一番キレイじゃ」とか言ってる姿を想像してしまいました。

本作は単純に「おとぎ話」で描いてほしかったなと残念でなりません。


キャッチコピーとなっている「姫の犯した罪と罰」。
「竹取物語」の原作でもかぐや姫が「ある罪」を犯したせいで、「罰」として地上(地球)に下されたという内容が書かれていますが、それが果たしてどんな罪だったのかは、諸説あり、
長年ミステリーとされてきました。
この映画キャッチコピーで、それがいかにも本編内で描かれているようではありますが、
明確には言及されていません。

高畑監督は本作の完成までに8年をかけているそうで、
以前にこの物語のプロローグを書いていたそうなのですが、
そのプロローグが完成した映画には加えられなかったそうです。

そのプロローグにどんなものが描かれていたかは知る由もありませんが、
結果、観客たちが自身で考える「罪と罰」に託されてしまったわけです。


手描きの水彩画のようなタッチの画が動く140分は確かに圧巻でした。
あとは昔の日本の生活様式が観られたのは楽しかった。
糸を巻く様子や、着物を着る様子や。
そういう日常の細かい様子がとても丁寧に描かれています。

声は皆、とても良かったです。
地井さんの翁は愛らしくて滑稽で、ちょっと泣けました。
媼の宮本信子さんも、かぐやの朝倉あきさんも良かった。

なにより、プレスコ形式で撮ったのは敬意を表します。
「プレスコ」とは音声を先に録って後から画を当てはめる手法です。
おかげで地井さんの最後の作品を完成品として観ることが出来ました。