-戦いを終わらせるための、戦い、という矛盾を抱える不幸と幸福-
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本作はオースン・スコット・カードが1977年に発表し、アメリカSF界の権威“ヒューゴー賞”と“ネビュラ賞”をダブル受賞した名作小説の映画化。
近未来、一家族に子どもは2人までと定められた世界。「子供に地球の運命を託す」というのは、現在の日本のアニメでは随分描き尽くされているが、
異星人の侵攻を受けた地球は、衛星軌道上にバトルスクールを設立し、世界中から優秀な子どもたちを集め、「戦いを終わらせる者」を育成している。
場所は変わり、ウィッギン家。
この家に生まれたのは
病的なまでに冷酷な戦略家である兄ピーターと、
共感性が高く情の深い姉ヴァレンタイン、
そして本作の主人公となる禁断とされる3人目の子ども=サードとして生まれた少年エンダー。
エンダーは才能を見込まれ、バトルスクールに送られ、みるみる頭角を現す。
本作の原作が出来たのは1977年、
子供が地球の運命を握った先駆者「機動戦士ガンダム」の放送が1979年からなので、
当時を想像するに随分斬新な設定だったに違いない。
とはいえ、映像として新たに生まれなおしたこの作品を見てみると、「古臭さ」は感じずに114分を過ごした。
エンダー役に『ヒューゴの不思議な発明』のエイサ・バターフィールド。大人になったなあ。
大人になったと言えば、エンダーの姉を演じたアビゲイル・ブレスリン。
『リトル・ミス・サンシャイン』でちょっとぽっちゃりしたキュートなヒロインを演じた少女が、もう立派なレディだ。驚いた。
「なぜ、エンダーが選ばれたのか」という、問いをチラホラ見かけるが、
私はこれは指導権を握る「グラフ大佐(ハリソン・フォード)」とエンダーの思考回路が同じだったから以外の何物でもないと思う。
本編を通して語られるのは「最大多数個人の最大幸福」というベンサム哲学の功利主義そのもので、
これはエンダーとグラフ大佐が目的のために辿る思想だ。
いくら優秀でも、指揮官と相いれない思想ならばエンダーの大抜擢は無かったに違いない。まだ子供のエンダーは知らずのうちに「最大多数の最大幸福」を行い、
その陰に生まれる最小不幸に苦悩する。
その最小不幸をこの年齢から経験してしまえば、この後、彼の人格は、どうなるのか。
「戦いを終わらせるには敵そのものを排除するべきである」、というのは、
矛盾を抱えつつも究極の解決策であることは、誰の目にも明らかなのであるが、
果たして、それが正しいのかどうか。
良くも悪くもとてもアメリカ的な物語だと思いながら、本作を見ていた。
この矛盾を突きつけられる場面に直面し、苦悩するのは不幸ではあるが、
この苦悩する不幸を味わっているその瞬間、人間としての良心はまだ存在しているという幸福を抱えていることも忘れてはならない。
自発する「善き人に」という心は、平和の最低条件だと思うから。
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本作の試写を観たのは12月中旬でした。
普段、大作などの試写の際は、ボディチェックや、携帯などに封をして預けるといった安全策や、
普通の作品でも、情報公開日などの注意などを喚起する場合はざらにありますが、
今回、試写を行ったディズニーで、初めて「誓約書」にサインしました。
珍しかったので許可を頂いて、ブログにちょっとだけアップします。
誓約書はちょっと全文は載せられないので…ほんとにちょっとだけ…(笑)
誓約書の上にあるのは、プレスです。
誓約書もちょっと映画風のデザインで、面白いですね。
こんな風に、公開前の作品には細心の注意が払われています。