多くのナレーターや声を務めた知る人ぞ知る声優・永井一郎さんが亡くなりました。
映画では「STAR WARS」の吹替版のヨーダの声も務められていました。
2月9日(日)には、永井さんの最後の収録の「サザエさん」が放映され、
多くの人々がネット上で、あるいはテレビの前で、
永井さんにお別れを告げているのを目にしました。
永井さんが亡くなったニュースを聞いたとき、
とても大きなショックを受けました。
私は「波平さん」が大好きで、毎週波平さん見たさだけに
サザエさんを毎週楽しみにしていました。
私は実家では母と二人暮らしでしたが、
祖父母が近くで和菓子屋を営んでいたため、
小さなころから毎日のように祖父母宅で、祖父母と、
一緒に暮らしていた叔母と、母と私の5人で食事をし、
お盆もクリスマスもお正月も、なんのイベントのない日も、ひとつのテーブルを囲んで座り、
ご飯を食べたり、テレビを見たり、トランプをしたり、
まさに「サザエさん」でちゃぶ台を囲むような環境で育ちました。
もうその食卓を囲む祖父、祖母、叔母はこの世にはいません。
一番早くにその食卓から席をはずしたのは祖父でした。
大学進学のために上京し、一人暮らしになってはじめて「サザエさん」の良さを知りました。
それまでは私にとって「サザエさん」は日曜の終わりを告げる「あまり好きではないアニメ」でした。
上京し、みんなで食卓を囲むことがどれだけ楽しく貴重な時間だったのかを知ると、
「サザエさん」は私にとって疑似家族を体験するようなアニメへと存在価値を変えました。
大学も卒業し、東京で働いて何年も過ぎました。
地元の生活より東京の生活のほうが長くなってしまったある年、祖父が亡くなりました。
あんなに私を可愛がってくれた祖父は、亡くなる前には私のことがすでに判らなくなっていました。
祖父が亡くなって以来、私はおそらく波平さんに祖父の姿を見ていました。
波平さんが笑って家族に話しかける度に祖父を思い出しては、微笑ましい気持ちになりました。
祖父は頑固で、メガネをかけ、私にはすごく甘い人でした。まるで波平さんのように。
波平さんの「ばっかもーん」を聞くたびに、カツオを羨ましく思ったし、
波平さんの「おお、そうかそうか」を聞くたびに、私の心はワカメになって、祖父に褒められたことを思い出しました。
永井さんが亡くなって、私は二人目のおじいちゃんを失った気分です。
本当に本当に寂しくてたまりません。
これを書いている間にもパソコン画面が涙で滲みます。
この涙が、祖父に向けられたものなのか、波平さんに向けられたものなのか、永井さんに向けられたものなのかが判らないほど、
永井さんの波平さんは、私の生活の中の一部で、
もうすでに、私のもう一人のおじいちゃんでした。
永井さんの波平さんが、本当に、本当に心から大好きでした。
今でも大好きです。
本当に本当にお疲れ様でした。
今までどうもありがとうございました。