2018年4月4日水曜日

○年ごとにやってくるアイツ

またやってきた。
4年ごとにやってくるアイツ。

え?オリンピック?
ちがうちがう。

私の元にやってくるアイツとは、指紋を消し去るアイツだ。


どういうわけか、ほぼ3~4年ごとに、指の指紋が無くなるほど薄くなる。
もともと私の指の皮膚は薄くて、缶コーヒーはおろか、スターバックスのカフェモカでさえ、スリーブがないと熱くて持てない。猫舌ならぬ猫っ手だ。

そんな指が、この周期ごとに、痒くなったかと思うと、
もう数日後には、指先はつるつるテカテカ、放っておいても熱を持ってチリチリ痛む。
病院に行っても原因が判らない。
似たような症状の手湿疹やアカギレとは、違うと言われる。

食器を洗うときはお湯だとゴム手袋ごしにでもジンジンするし、
酷い時はPCのキーボードも叩けなくなるくらいに痛む。
職業的には致命的だ。

そうしてひと月ほど、私の指から日常を少し食いつぶしては、いつの間にかいなくなる。


数年ごとにやって来て、ひと月ほど暴れてはいなくなる、正体不明のアイツ。



数年ごとにやってくる、と言えば
『ジーパーズ・クリーパーズ』。
映画好きの人は『IT』かな?と思ったでしょ。
『IT』は昨年のヒットでフューチャーされてかなり人気者なので、今日は、こっちで行くことにする。


『ジーパーズ・クリーパーズ』は、23年に一度やって来て、23日間人々を襲っては消える得体の知れない怪物が出てくる、オカルト・ホラーだ。

主人公は大学生のトリッシュと弟のダリー。
男女が出てくるのに恋愛関係にある男女じゃなくて姉弟っていう設定が、まずイイ。
イチャイチャしてるうちにやられる心配をせずに済む(笑)。
二人は車で帰省する途中で、奇妙なトラックに煽られる。
この映画には70~80年代のホラーへのオマージュがたくさん。
観客はこの一連のシーンでスピルバーグ監督の『激突!』を思い出し、偏執狂に怖い思いをさせられる姉弟の姿を追うのかと一瞬思うが、物語は別の不気味さにスライドして行く。

原題になっている「Jeepers Creepers」はルイ・アームストロングによるジャズのスタンダードナンバーのこと。
この曲が死の宣告として使われている。
この「Jeepers Creepers」という言葉は「Jesus Christ」の変型だといわれていて、
70年代頃には「なんてこった!」という時によく使われていたスラングだ。
悪魔が登場する映画のタイトルに「Jesus Christ」が使われている皮肉と、
まさに「なんてこった!」な展開の作品。

この歌の途中で
「where'd ya get those eyes?」という歌詞が出てくるけど、
「その瞳を一体どこで手に入れたんだい?」なんて、
本編を観ていただけるとちょっとゾクゾクすると思う。

ちなみに続編は『ヒューマン・キャッチャー』という、続編を微塵も感じさせないタイトル。
(原題は『Jeepers Creepers2』なのに!)
続編の方は今日紹介する本作の4日後の惨劇が繰り広げられる様子を描いている。

容赦ないし、圧倒的だし、理不尽。
正体不明のアイツはいたってマイペース。
「んじゃ、23年後また!」
と、これまでも軽やかに去ってきたんだろう。

私の指のアイツも
「んじゃ!また4年後!」
と軽やかに去るんだろう。
何事もなかったように。また数年後にやって来ることが当然であるかのように。

本日の映画

タイトル:『ジーパーズ・クリーパーズ』
原題:Jeepers Creepers
上映:90min
製作:2001年・アメリカ/ドイツ
監督:ヴィクター・サルヴァ
出演:ジーナ・フィリップス/ジャスティン・ロング/ジョナサン・ブレック

2018年4月2日月曜日

わたしを忘れないで

おじいちゃん子、おばあちゃん子だった。
そのせいか、とても信心深い子供だった。
道端のお地蔵さまには必ず頭を下げたし、盆暮れ正月は必ず帰省して、
おじいちゃんおばあちゃんたちと過ごした。

おじいちゃんと、おばあちゃんと、叔母と、母と、私。
お菓子を買う時も、家庭科の授業で調理実習をする時も、
必ず5人分を持って家に帰った。

普段、母と二人で暮らしていたけれど、
私はいつでも「5人家族」だったのだ。

おじいちゃんが逝ってしまったとき、「死」という存在は途端に私の身近になった。
6年後におばあちゃんが、その翌年におばが逝き、
その間に東日本大震災があり、
「死」は私の目の前の現実になった。
常に頭に、日常の傍らに、そこかしこに死を見ているような気分だ。

「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。」

ニーチェ先生の言うとおりだ。
まさにそんな気分で、あれからずっと過ごしている気がする。

『リメンバー・ミー』を観て、号泣したのはきっと、死者たちの国で、楽しく暮らすご先祖さまたちが、おじいちゃんやおばあちゃん、おばだったら良いのにな、と思ったからだ。

舞台はメキシコ。
音楽を忌む一族に生まれた少年ミゲルは、音楽家になりたい夢と、そして何より才能を持っている。ひょんなことからミゲルは死者の国へ迷い込んでしまう。
この映画は「一族」という絆で繋がった人たちの、赦しと愛の映画だ。

メキシコには「死者の日」という日本でいうところの「お盆」がある。
道にマリーゴールドの花弁を敷き詰め、亡き先祖が死者たちの国から自分の祭壇がある我が家に帰るのだ。
メキシコの死者の国は明るい。
鮮やかな色彩に溢れ、賑やかで楽しそう。
日本人の思う死者の国のイメージとは大分違う。
「死」の先に、なんだか夢や希望が見える気がするのは、私だけなのかな。

本編、ミゲルには心強い味方がいる。
野良犬のダンテだ。
ダンテは本作で、ミゲルを導いてくれる頼もしい友だ。



私も今、一緒に暮らす相棒がいる。
彼の名前も、ダンテ。なんという偶然。
カフェオレ色のミニチュアダックスの彼もまた、私を導く頼もしい相棒だ。


この映画を観て、
きっとおじいちゃんもおばあちゃんもおばちゃんも、あんな風に過ごしていて、
今は会えなくとも、きっと楽しく笑ったり、喧嘩したりしていてくれたら。
私は寂しいけれど、それでも彼らが楽しそうなら、それで嬉しい。

主題歌はこう歌っている。

 Remember me  
 Though I have to say goodbye
 Remember me 
 Don’t let it make you cry 
 For even if I’m far away I hold you in my heart 
 I sing a secret song to you each night we are apart 

 僕のことを覚えていて
 さよならを言わなければならないけど
 僕のことを覚えていて
 お願いだから泣かないで
 僕が遠くに行ってしまっても、君のことは僕のハートに留めておくから
 君のために秘密の歌を毎晩歌うから

この歌を聞いて、頭を撫でられている気がした。
この曲には、置いて逝かれる者への愛が溢れている。

原題は『COCO』。ココはミゲルの曾おばあちゃんの名前だ。
原題にある通り、このステキな曲も、赦しも愛も、実は曾おばあちゃんであるココに捧げられている。そんなところも素敵。
そんな感じで、私はこの映画の序盤から、ボロボロ泣き始め、終わっても泣きながら家に帰った。

良い邦題の映画はそんなに多くないけれど、『リメンバー・ミー』は良い邦題だと思う。

「わたしを覚えていて」
それはつまり
「わたしを忘れないで」
だ。

先に逝く彼らはそう思うかもしれないけれど、
この言葉は置いてく者と、置いて行かれる者、両者が抱く想いだ。

私もまた、彼らに思う。

おじいちゃん、おばあちゃん、おばちゃん、
「わたしを忘れないで」


本日の映画

タイトル:『リメンバー・ミー』
原題:COCO 上映:105min 製作:2017年・アメリカ
監督:リー・アンクリッチ
出演:アンソニー・ゴンザレス/ガエル・ガルシア・ベルナル/ベンジャミン・ブラット

2018年4月1日日曜日

君はピンチに笑えるか

ずっとブログをサボっていた。

一度サボるとだんだん再開するきっかけを探すようになる。
きっかけを探し始めると、より意味のあるきっかけを探すようになる。
「つき動かす何か」というような強くて意味のあるきっかけを。
そうしてどんどん遠のく。
そうしてずっと放置してしまった。

昨年、2017年、
なんだか仕事がことごとく上手くいかなくて凹んでいる時期がかなりあった。
胃腸炎で食べられない時期がふた月ほどあり、
食べたいものがあるのに食べられないと、人はどんどん悲観的になっていく。
そう言えば、ずっと若い頃、そんな経験があって、知っていたはずなのに。
すっかり忘れていた。

辛い時に、口角を上げてほほ笑んでみると、脳にいわゆる“しあわせホルモン”セロトニンが分泌されて、辛い気分を軽減してくれるという。
「辛い時こそ笑え」、というのは、理に適った辛さ解消法だったのだ。
20代の、あのときの私は知らなかったけれど。

そんなこんなで昨年の私は、夜中にベッドの中でニヤリと笑みを浮かべたり、
ほほ笑みながら歩いてみたり、
「わっはっは」と笑い声を口に出してみたりと、どうにかして自分に元気を取り戻す方法を模索していた。
そんなとき、頭の中で音楽が鳴り響いた。
辛い時に必ず聞いていた、『インディ・ジョーンズ』のテーマだ。

中でもシリーズ2作目の『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』は、私にとっては特別な映画だ。
私はその頃14歳。演劇部でときどき徹夜をしては脚本を書いていた。
当時、やっとビデオデッキが殆どの一般家庭に普及した頃。
母がテレビで放送した『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』のメイキングを録画しておいてくれて、
学校から帰宅した私に見せてくれた。
あの日、運命の雷に打たれて、今私は映画のライターをしている。

夢を追いかけていると、挫折は何度でも何度でもやって来るし、
まるで宇宙空間でたった一人、
暗闇の中に取り残されたような圧倒的な孤独と不安。

夢を追いかけ始めてあっという間の長い月日が過ぎて、
周りの同じ年の人たちはきちんと社会で出世したり、妻や夫になったり、子供の親になっていたり。
同じような夢を持っていても諦めていく人を、何人も見てきたり。
周りの景色が見えてしまうと、
どうしたって「自分はこれでいいのか」という疑問と叱責が、瞬く間にムクムクと巨大化してしまう。
それなら宇宙空間に独り、の方が、良いのだろうか。果たして。

心が折れそうな時、いつも初心に帰る気持ちで私は『インディ・ジョーンズ』を観なおす。
ハリソン・フォード扮するインディは、
ツイードのスーツを着て大学で教鞭をとっている間は「ジョーンズ博士(ヘンリー・ジョーンズ・Jr.)」だ。
彼のやりたいことは冒険であり、まだ見ぬ遺物の発見であり、やりたいことをやっている時の彼は牛追いムチにフェドーラ帽、レザージャケットを身につけた、「インディ」になる。

画面の中のインディは、しょっちゅう危険な目に遭う。
ワニのエサにされそうになるし、銃を持った怪しい男たちにしょっちゅう追われる。
気味の悪い虫や大嫌いなヘビにだって囲まれるし、大きな岩にも追いかけられる。
そんなピンチの時に、インディは度々ニヤリと笑うのだ。
「面白くなってきたぞ」とでも言うように。

この笑顔にめちゃくちゃ痺れる。

君はピンチの時に笑えるか。
「面白くなってきたぞ」そう言って夢に、人生に、立ち向かえるか。


今でもまだ、夢の途中。
心が折れそうな時には、いつもインディのあの笑みに助けられる。


今日も私は自分に問う。
「私はピンチの時に笑えるか」



本日の映画

タイトル:『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
原題:Indiana Jones and the Temple of Doom 上映:118min 製作:1984年・アメリカ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:ハリソン・フォード/ケイト・キャプショー/キー・ホイ・クァン