2014年1月21日火曜日

映画 | 『エンダーのゲーム』

-戦いを終わらせるための、戦い、という矛盾を抱える不幸と幸福-

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2014年1月18日に『エンダーのゲーム』がいよいよ公開されたのでレビューをアップ。

本作はオースン・スコット・カードが1977年に発表し、アメリカSF界の権威“ヒューゴー賞”と“ネビュラ賞”をダブル受賞した名作小説の映画化。
近未来、一家族に子どもは2人までと定められた世界。
異星人の侵攻を受けた地球は、衛星軌道上にバトルスクールを設立し、世界中から優秀な子どもたちを集め、「戦いを終わらせる者」を育成している。

場所は変わり、ウィッギン家。
この家に生まれたのは
病的なまでに冷酷な戦略家である兄ピーターと、
共感性が高く情の深い姉ヴァレンタイン、
そして本作の主人公となる禁断とされる3人目の子ども=サードとして生まれた少年エンダー。

エンダーは才能を見込まれ、バトルスクールに送られ、みるみる頭角を現す。
「子供に地球の運命を託す」というのは、現在の日本のアニメでは随分描き尽くされているが、
本作の原作が出来たのは1977年、
子供が地球の運命を握った先駆者「機動戦士ガンダム」の放送が1979年からなので、
当時を想像するに随分斬新な設定だったに違いない。
とはいえ、映像として新たに生まれなおしたこの作品を見てみると、「古臭さ」は感じずに114分を過ごした。

エンダー役に『ヒューゴの不思議な発明』のエイサ・バターフィールド。大人になったなあ。
大人になったと言えば、エンダーの姉を演じたアビゲイル・ブレスリン。
『リトル・ミス・サンシャイン』でちょっとぽっちゃりしたキュートなヒロインを演じた少女が、もう立派なレディだ。驚いた。


「なぜ、エンダーが選ばれたのか」という、問いをチラホラ見かけるが、
私はこれは指導権を握る「グラフ大佐(ハリソン・フォード)」とエンダーの思考回路が同じだったから以外の何物でもないと思う。

本編を通して語られるのは「最大多数個人の最大幸福」というベンサム哲学の功利主義そのもので、
これはエンダーとグラフ大佐が目的のために辿る思想だ。
いくら優秀でも、指揮官と相いれない思想ならばエンダーの大抜擢は無かったに違いない。

まだ子供のエンダーは知らずのうちに「最大多数の最大幸福」を行い、
その陰に生まれる最小不幸に苦悩する。

その最小不幸をこの年齢から経験してしまえば、この後、彼の人格は、どうなるのか。

「戦いを終わらせるには敵そのものを排除するべきである」、というのは、
矛盾を抱えつつも究極の解決策であることは、誰の目にも明らかなのであるが、
果たして、それが正しいのかどうか。
良くも悪くもとてもアメリカ的な物語だと思いながら、本作を見ていた。

この矛盾を突きつけられる場面に直面し、苦悩するのは不幸ではあるが、
この苦悩する不幸を味わっているその瞬間、人間としての良心はまだ存在しているという幸福を抱えていることも忘れてはならない。

自発する「善き人に」という心は、平和の最低条件だと思うから。

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本作の試写を観たのは12月中旬でした。
普段、大作などの試写の際は、ボディチェックや、携帯などに封をして預けるといった安全策や、
普通の作品でも、情報公開日などの注意などを喚起する場合はざらにありますが、
今回、試写を行ったディズニーで、初めて「誓約書」にサインしました。

珍しかったので許可を頂いて、ブログにちょっとだけアップします。
誓約書はちょっと全文は載せられないので…ほんとにちょっとだけ…(笑)
誓約書の上にあるのは、プレスです。

誓約書もちょっと映画風のデザインで、面白いですね。
こんな風に、公開前の作品には細心の注意が払われています。

2014年1月16日木曜日

2014年1月10日金曜日

年賀状いろいろ。

数多くあるブログの中で、映画のレビューやコラムの載せてあるブログは山ほどあるので、
もう少し、何か少しでも変わった情報、あまりない情報を発信できないかと思いました。

毎年、数多く頂く年賀状ですが、
映画会社、配給会社からも年賀状を頂きます。

これを見るのが毎年とても楽しみです。

その年のラインナップが並んだものが多いのですが、
中には代表作1作をバーンと配置したものもあります。
こんな感じ↓↓↓



私は「トムとジェリー」が好きなので、(というか主にトムだけが好きなので)
 ワーナーさんの「トムとジェリー」の今年の年賀状が、個人的にヒットでした。

毎年この年賀状たちを眺めて、新作がやってくるのを楽しみにしています。
映画のライターをしていると、こんな楽しみもあって嬉しいです♪

2014年1月7日火曜日

あけましておめでとうございます。

昨年このブログを初めて、まともに更新しないまま、
あっという間に2014年がやってきてしまいました。

今年はライターという仕事ならではの裏側、といいますか、
「縁の下」の部分を更新していけたらな、と思います。

イラストは今年の年賀状です。
毎年、年賀状を出すまでに観た、その年のBEST3を載せているのですが、
描いた後には「ああ、あの作品も入れれば良かった!」「この作品を忘れていた!」などと
後悔しきり。

毎年BEST10を決めるのですが、
次の日にもう一度やってみると順位や作品が必ず入れ替わります。

料理と同じように、その日のコンディションで、一番ピタッと来るものが違います。
観ている間の印象や後味なんかも、その日の体調や精神状態が大きく作用します。

10代のあの日、失恋した日に観た映画の、あの主人公のセリフが胸に深く沁み入っても、
今観たら多分、きっとあの主人公より、隣にいた登場人物の態度の方が心をギュッとする。

20代のあの夜、見終えて「ふーん」で済んでしまった映画が、
今観たら、すごく面白くて興奮しすぎて2日もまともに眠れない。

それが映画の良さなんじゃないかな、と思うのです。

そんな、そのときにしか感じられないことを、
少しでも多く、色々な人と分け合えたら幸いです。

皆様、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

2013年12月10日火曜日

映画 | 『かぐや姫の物語』

随分と淡白な現代っ子、なよ竹の君

(C)2013 畑事務所・GNDHDDTK

『かぐや姫の物語』。
宮崎駿監督の『風立ちぬ』と同日公開予定でしたが、
延期になっていた本作がやっと公開されました。
宮崎監督の引退宣言後、第一作目のジブリ新作です。

予告編の素晴らしさに期待は膨らむばかりで、試写会場へ。
会場は『風立ちぬ』の時と同じく長蛇の列でした。
試写終了時に拍手が起こりました。
で、ネットでは試写終了後、評論家の方々から早くも大絶賛の嵐、不思議になほど全く不評を見かけませんでした。

高畑勲監督は『ホーホケキョ となりの山田君』と『平成狸合戦ぽんぽこ』が好きなのですが、
今回は『かぐや姫』。日本国民の大半が知る題材です。

公開後、世間のかぐや姫フィーバーも落ち着いたので、やっとレビューを載せようかと思います。


「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。
野山に混じりて竹を取りつつ よろづのことに使いけり。
名をば、さぬきのみやつことなむいひける。
その竹の中に元光るたけなむ一筋ありける。」
竹取物語の原文が、本編の冒頭でも語られます。

「…怪しがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば三寸ばかりなる人、いとうつくしうて居たり。…」
と続き、かぐや姫との出逢いに続きます。

…しかし!『竹取物語』のこの冒頭をそらで言える程度の思い入れがある私にとっては、
巷の有名評論家の方たちの大絶賛!には共感できませんでした。…すみません。

私には本作の「かぐや」は、
絶世の美女とも思えないし、キャラクターとしての魅力も感じませんでした。

まあ、もともとかぐや姫というのは、「いけすかない女」なわけですよ。
小さいころから蝶よ花よと育てられ、多くの3高男子(死語)に告られ、
結婚する気もないのに「××をくれたらあなたのものになってもいいわよ~」とかなんとか、
無理難題を出しつつ、気を持たせるようなセリフを吐く女なわけです。
しかも、20年も育ててくれたおじいさんおばあさんの老後も考えず、
月に帰っちゃうという。

おじいちゃんおばあちゃん子の私にとっては「とんでもねー女」だったのです。

しかし、それでもこの物語の魅力はなんだろうと考えたときに、
やはり真っ先に思い浮かぶのは「おとぎ話のお姫様」ってこと。
その肩書きがあればどんな女であろうとまあ許される、子供たちにとっての究極の免罪符「お姫様」。
「お姫様」の象徴、美しい容姿ときらびやかな衣装は、女児たちを寛容にするマストアイテムです。

日本のお姫様の醍醐味は、なんといっても長い黒髪と華やかな衣装です。
古くから原作に添えられてきた挿絵などにある床にまで流れる黒髪は画面的にも美しいし、
十二単の折り重なるさまや衣擦れの音は、想像しただけで心地よい。

しかし本作の「かぐや」は、贔屓目に見ても「美しい」黒髪には見えないし、
十二単もろくに着やしない。バッサバッサはだけるシーンはあるのに。

黒髪の流れひとつで悲哀も情緒も儚さも表せるのに、それをほぼ使わなかったのはすごく勿体なく感じました。


キャラクターについてですが、
原作のかぐや姫の方がもう少し、翁と媼に愛情を感じますし、
原作での帝の「不老不死の薬」のくだりなんかは、辻褄があっているのに、
映画では原作の人間関係をアレンジしてしまったばかりに、物語の細部は破綻しています。

本作では、かぐやをとても人間臭くしてしまったために、
かぐやのいけ好かない点ばかりが目につき、
物語を通して、かぐやの「我」ばかりは見えても、
育ての親への愛情や、かぐやの心の美しさや外見の美しさへの表現が希薄に感じました。
自分の事だけしか考えない、育ての親との別れも割とあっさり目。
随分と淡白な現代っ子だよね、なよ竹さんちのかぐやさん。


そもそも「美」の基準をどこにするか、という点で話は違ってきます。

原作のかぐやは人としての愛や情を持ち合わせていますが、
・「我」の描写は少ないこと、
・容姿などの表面的な美しさ
など人間的でない描写を駆使して「天上人」としての、「美」として描いています。

しかし、映画では
・「自分の思うように(人間らしく)生きたい(=我)」、
・動物や草木のような自然と共に生きること
を「美」として置いているのでしょう、

「想いのまま」に生きる姿は、人間としての「美」であり、「天上人」としての「美」は感じません。

唯一地球人ではないからなのかな、と思ったのが、この愛や思いやりが希薄なこと、くらいです。

ジブリの「自然讃歌」は嫌いではありませんが、
「かぐや姫」にまで「自然讃歌」を持ち込むのはいささか説教臭く、
「健全な美」というのもこの物語とはそぐいません。

近所のおじいさんが
「化粧した顔よりも素顔が一番じゃ」とか
「ちょっと太ってるくらいが一番キレイじゃ」とか言ってる姿を想像してしまいました。

本作は単純に「おとぎ話」で描いてほしかったなと残念でなりません。


キャッチコピーとなっている「姫の犯した罪と罰」。
「竹取物語」の原作でもかぐや姫が「ある罪」を犯したせいで、「罰」として地上(地球)に下されたという内容が書かれていますが、それが果たしてどんな罪だったのかは、諸説あり、
長年ミステリーとされてきました。
この映画キャッチコピーで、それがいかにも本編内で描かれているようではありますが、
明確には言及されていません。

高畑監督は本作の完成までに8年をかけているそうで、
以前にこの物語のプロローグを書いていたそうなのですが、
そのプロローグが完成した映画には加えられなかったそうです。

そのプロローグにどんなものが描かれていたかは知る由もありませんが、
結果、観客たちが自身で考える「罪と罰」に託されてしまったわけです。


手描きの水彩画のようなタッチの画が動く140分は確かに圧巻でした。
あとは昔の日本の生活様式が観られたのは楽しかった。
糸を巻く様子や、着物を着る様子や。
そういう日常の細かい様子がとても丁寧に描かれています。

声は皆、とても良かったです。
地井さんの翁は愛らしくて滑稽で、ちょっと泣けました。
媼の宮本信子さんも、かぐやの朝倉あきさんも良かった。

なにより、プレスコ形式で撮ったのは敬意を表します。
「プレスコ」とは音声を先に録って後から画を当てはめる手法です。
おかげで地井さんの最後の作品を完成品として観ることが出来ました。

2013年8月16日金曜日

告知|コラム掲載:『オズ はじまりの戦い』

マイナビさんで『オズ はじまりの戦い』についてのコラムを書きました。
↓↓↓

マイナビ:
かつて見たことのない世界に飛び込め!
この夏は『オズ 始まりの戦い』で驚きのファンタジー体験をしよう!


(C)2013 Disney
(C)2013 Disney





















『オズ はじまりの戦い』の映像は本当に素晴らしいので、
まだ未見の方は是非一度、DVD/Blu-Rayでご覧になって下さい。

特に「これから冒険が始まるぞ!!」という気分になるオープニングはとっても素晴らしいので!

主演はサム・ライミ版『スパイダーマン』で、主人公ピーターの親友の御曹司役ハリーを演じていた
ジェームズ・フランコ。
私個人の印象では、ジェームズ・フランコは「いいとこのぼっちゃん」的な印象を
ずっと払拭できない感じで、今ひとつ面白みに欠けていると思っていたのですが、
『127時間』(2010・米/英)を境にとっても面白い俳優さんになったなあと思います。
『スプリング・ブレイカーズ』(2013・米)しかり、本作しかり。

本作では「口先だけの軟派で軽薄なペテン師」なのですが、これが見事で、
それでいてどこか憎めない主人公オズを好演しています。

1939年版との繋がりやモチーフが散りばめられているのは勿論、
本作中での現実世界とオズの世界との対比なども凝っていますし、
また1939年公開の『オズの魔法使』に対する敬意を
きちんと感じられる演出がされているのもとても素敵です。

見どころは沢山ありますが、
この見どころを知っているときっともっと楽しめるはずです。

是非、お暇なときにコラムをご覧くださいm(_ _)m
↓↓↓

マイナビ:
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オズ はじまりの戦い ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]

2013年8月2日金曜日

「なんでコレ?!」な邦題を考える

2013年8月2日の今日、驚くニュースが発表されたので、今日はそれについて。

日本一最悪な邦題がタイトル変更。フォックスが公式謝罪
2006年にDVD発売され、一部の映画ファンから熱い支持を集めるも、あまりにもヒドい邦題で発売されたため“日本一最悪な邦題”と称されてきた映画『バス男』について発売元の20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパンが公式謝罪し、オリジナルタイトルの『ナポレオン・ダイナマイト』として10月に再発売されることが決定した。  (ぴあ映画生活より引用)
問題の作品がこれ↓↓↓


20世紀FOXホームエンターテインメントはツイッターの公式アカウントでも

と、謝罪。これにはびっくりです。

『ナポレオン・ダイナマイト』はあの時期大ブレイクした皆さんご存じの『電車男』の時期と同じだったため
このようなタイトルが付けられましてしまいましたが、このような例はこの作品だけではありません。

たくさんの映画を観ていると、本編はなかなか面白いのに今回のような時流に乗った邦題や、
時流云々など関係なく「なんでこんなタイトルに…」とがっかりするタイトルをつけられた作品も少なくないので、今回のニュースには驚きました。
新しい風の予感です。

今回はそんな新しい風を吹き込んでくれたこのニュースに乗っかって、
「その邦題はどうなのよ」な映画を考えてみることにします。


『続・激突!カージャック』(1974・アメリカ)…[原]『The Sugarland Express』
言わずと知れたスピルバーグ監督の『激突!』のヒットを受け、邦題が付けられましたが、この作品は映画『激突!』とは全く関係のない作品。
私は昔「Sugarland's Lands」というサイトを運営していましたが、そのサイト名はこの映画から名付けました。

原題は『The Sugarland Express』、福祉局によって里子に出された子供を奪還するために、脱走させた夫と妻がシュガーランドへと向かう、実話をもとに作られたロードムービーです。

視覚的な映画を撮らせたら神様!のスピルバーグの感性が生きた作品です。
主演のゴールディ・ホーンもしたたかで愚かでチャーミング。刑事役のベン・ジョンソンも素敵です。

『激突』なんてタイトルをつけられてしまったために、前作ようなサスペンスを期待した人の期待を見事に裏切ることになってしまい、あまり評価されなかった悲運の秀作。
もう一度、きちんとしたタイトルに改めて欲しいです。ホント。

『素顔のままで』(1996・アメリカ)…[原]『Striptease』
公開時に「ひどい邦題…」と思ったのを覚えていたので。
デミ・ムーアがストリッパー役ということで当時話題になった作品です。
デミの7歳になる実娘ルーマー・ウィリスが、彼女の娘役でスクリーンデビューしたのもこの作品。
ゴールデン・ラズベリー賞で最低女優、最低監督、最低脚本などあまたの「最低」を獲得した映画ですが、コメディなのにロマンス風が漂うこの邦題はさすがに無いと思う…。
最初タイトル見た時ハーレクイーン・ロマンスかと思ったわ。


『ぼくのエリ 200歳の少女』(2008・スウェーデン)…[原:Let the Right One In]
『ぼくのエリ』で止めとけば、とっても素敵な邦題だったのに、なぜ?…なぜ~!?
翌年クロエ・グレース・モレッツが主演で『モールス』(2011・米[原:Let Me In])としてリメイクが出ました。
私はクロエ・グレース・モレッツがとても好きだけど、これについては『ぼくのエリ』の方が断然好き。
エリを演じたリーナ・レアンデションが、人間離れしているというか、本当に種族を超越した異質な感じですごく良いのです。
日本公開にあたり、肝心の部分にボカシを入れられてしまい、物語の持つ意味合いが伝わりづらくなってしまいました。とても残念です。
この部分はサブタイトルに凄く関係する部分であり、本編を見ずにサブタイトルをつけたんじゃないかと思いたくなるひど酷いサブタイトル。こちらは『ぼくのエリ』というタイトルだけでモザイクなしで再発売してほしいです。そしたら即買います。

『エンジェル・ウォーズ』(2011・米)…[原:Sucker Punch]
スタイリッシュでちょっと切なくて、とてもとても好きな映画だけど、世界各地の評価は散々。それも半分邦題のせいだと言いたい程の勢いです。正義に立ち向かい地球を救うセクシーガールたちの物語ではないです。観客が不意打ちを食らう感じからも、原題[Sucker Punch]で良かったなあ。
あ、劇中に使われた「Sweet Dreams」でも良かったかも。





『26世紀少年』(2006・米)…[原:IDIOCRACY]
『バス男』同様、「時代に便乗して、こんな邦題をつけてしまい…」な、作品。
社会風刺コメディで面白いだけに残念。








『悪魔と天使』(2006・米)…[原:The Visitation]
同じく便乗タイトル、『ダヴィンチ・コード』の2作目『天使と悪魔』から。
エドワード・ファーロング主演のオカルト映画。パッケージまでそっくり…ひどいや(笑)。
『天使VS悪魔』っていうのもありましたっけ…(笑)。
ちなみに↓↓『天使と悪魔』、『天使VS悪魔』のパッケージ…。






 


『最高の人生の見つけ方』(2008・米)…[原:The Bucket List]
主演のジャック・ニコルソン本人も来日時、この邦題になんとなく難色を示した様子。人生の教訓、的な物語というより謳歌の物語だと思うので「棺桶に入る前にやっておくことリスト」的な原題の方が合ってると思う。邦題は「感動ものだよ!!」って声高に叫んでる感じ。それほど酷い、というほどではないのかもしれないけれど、あざといタイトル。
そういえば邦題って「~のしかた」「~の方法」とかハウツー系タイトルが割と多い。





邦題が良くて売れる映画もあるように、邦題が悪くて見る気にもならない、あるいは邦題とは内容が違うベクトルへ興味を向かせてしまい、かえって評価を低くしてしまうという映画があるのは事実。
そういう映画を見ると、本当にもったいないと思います。

B級映画などには特に「とんでもタイトル」が多いのですが、
「とんでも映画」に「とんでもタイトル」をつけてどうにか売ろうという場合が殆どです。
それでも続編でもないのに続編のようなタイトルをつけられていたりと、かなりややこしい。

『沈黙の戦艦』(1992・アメリカ)…[原:UNDER SIEGE]には、ちゃんとした続編[UNDER SIEGE 2]があるのに、邦題は驚いた事に『暴走特急』(1995・アメリカ)。
全然関係無い映画には『沈黙の要塞』(1994・アメリカ)とか、『沈黙の断崖』(1997・アメリカ)とか…「沈黙」ついてるのに…
どうしてこうなった!?






あとややこしいのが『ファイナル・ディスティネーション』シリーズ。


1作目『ファイナル・デスティネーション』(2000・アメリカ)… [原:FINAL DESTINATION]舞台は飛行機
2作目『デッドコースター』(2003・アメリカ)…[原:FINAL DESTINATION 2]舞台は高速道路
3作目『ファイナル・デッドコースター』(2005・アメリカ)… [原:FINAL DESTINATION 3]舞台は遊園地



4作目『ファイナル・デッドサーキット 3D』(2009・アメリカ)…[原:THE FINAL DESTINATION]舞台はサーキット場
5作目『ファイナル・デッドブリッジ』(2011・アメリカ)…[原:FINAL DESTINATION5]舞台は吊り橋
あちゃ~…って感じ。ごっちゃごちゃ。

全く関係ないホラー映画で『ファイナル・デス・ゲーム』(2009・スペイン/アメリカ)…[原:Open Graves]って言うのがあるけど、これはホラー版『ジュンマジ』みたいな感じ。
どうせなら『ダーク・ジュマンジ』とかつけとけば良かったのに。
『ファイナル・デス・メッセージ』(2010・アメリカ)なんてのもあったっけ。ややこしいんじゃ。
 
他に『ファイナル・デッド・コール』『ファイナル・デッド・パーティー』『ファイナル・デッド・スクール』
『ファイナル・デッド』『ファイナル・デッド・オペレーション』なんてのも・・・だけどもう割愛(笑)!!
まあ『ファイナルデッド』な邦題については、いずれまとめて書こうと思っています。

他にも
『ミッション:8ミニッツ』(2011・アメリカ)…[原:Souce Code]
『団塊ボーイズ』(2007・アメリカ)…[原:Wild Hogs]
『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(1964・アメリカ/イギリス)…[原:A Hard Day's Night]
とかキリがないけど…とりあえず今日はここまで。。。