2013年7月30日火曜日

映画 | 『風立ちぬ』

─二郎の眼鏡には愛が詰まっている─

映画『風立ちぬ』ポスター(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK
(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK
「スピルバーグはいつか、リンカーンの映画を撮るだろう」とずっと思ってきたけれど、
それと同じようにまた「宮崎駿はいつか飛行機の設計者の映画を撮るだろう」と思ってきた。
奇しくも同じ年に、それを目にするとは。

宮崎駿監督作品を観ると、必ずスピルバーグ監督を思い出す。
しばらくはそれがなぜなのか、ずっと判らずに漠然とした感覚のままでいたが、やっと気づいた。

宮崎監督はスピルバーグ監督同様、「善良なる大衆」を描くのがこの上なく巧いのだ。
スクリーンの中いっぱいに広がる大衆の、一人一人の姿を見ると、どの人も人間臭くていい。
子供は「本当に」子どもだし、お年寄りは「本当に」お年寄りだ。

そんな人間臭い彼らが当たり前のようにスクリーンの端に存在しているのをアニメでやってのける監督を、私は世界でまだ知らない。


零戦の設計者、堀越二郎の半生を描いた『風立ちぬ』。
2009年~『モデルグラフィックス』誌にて宮崎監督自身が連載していた漫画のアニメ映画化ですが、
宮崎駿監督の映画作品で実在の人物を描くのは初めて。

『紅の豚』などには大人のファンも多いようだけど、
初めて大人(だけ)に向けて作られた作品ではないだろうか。

宮崎監督の作品を見ていると、
ずっと空を仰ぎ見ているような、空に手を伸ばしているような
そんな気持ちになる。

『紅の豚』はもちろん、『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』『千と千尋の神隠し』。
『ルパン三世 カリオストロの城』の城の屋根を走るルパンの浮遊感さえ、忘れてはいけない。
テレビアニメも入れれば「未来少年コナン」。

公開してから本作がジブリ作品としては背伸びした作品とじゃないかいう声もちらほら聞こえるが、
私にしてみれば、空が大好きだ!飛行機が大好きだ! という言葉が聞こえてきそうな、
そんな作品だった。

昨今の昭和讃歌の傾向が多い日本で、度々宮崎駿監督の作品の名前を耳にすることもあるが、
私は宮崎駿監督の作品から昭和讃歌の匂いをかぎ取ったことは一度もない。
自然讃歌なら大いに感じるし、それは大いに賛同したい。
ただそれが説教臭くなってしまっては、もったいないのももちろんのこと。
『もののけ姫』なんて説教臭いことこの上なく、あまり好きではなかったので、
今回の偉人伝的な題材にちょっとした懸念があったことも事実だ。
しかし本作は説教臭さを殆ど感じず、ただ、憧憬としての「空」があるのみであった。

何かが好きでたまらない、という気持ちで作られた作品には多かれ少なかれ「オタク臭」が漂うが、
飛行機や設計図云々の専門用語などが飛び交う本作は、まさに「オタク臭」が漂い、好感が持てる。
まるで好きな男子が自分の趣味について目をキッラキラさせて語るのを、「?」と思いながらも微笑ましく聞いている女子のソレに似てる。

「好き」で作られた作品には観客にも伝わる「愛」が詰まっている。


宮崎監督自身は反戦意識の高い人のようですが、
その一方で戦闘機が好きという矛盾が、この作品の中の堀越二郎本人のそのものとして描かれているのはとても興味深い。

本編の中で、度々二郎のメガネのレンズには二郎自身の目が反射して映り込んでいる。
この表現には終始、見入ってしまった。
実写ならともかく、アニメでそれをやっている作品を私は観たことがあっただろうかと記憶を辿ったけれど、
まったく思い当たらない。すごい。

メガネに「かけている人自身の目」が映り込むのは、度の強い眼鏡をしている証拠だ。
パイロットになりたくても目が悪くてなれなかった堀越二郎。
常にメガネに「目」が映り込んでいることで、二郎の目の悪さが強調されている。

そうして観客は、二郎の眼鏡越しに、二郎の「空へのやむなき愛」を見るのだ。